今、相撲界でもっとも注目されている力士といえば翔猿関ですよね!
小柄な体ながらも素早い猿を思わせるような動きで立ち回るその姿と角界一と
言われるイケメンぶりで幅広い世代に大人気の翔猿関の出身地や
出身校、生い立ちなどが気になったので詳しくまとめてみました!
翔猿正也(力士)の出身地は江戸川区のどこ?
翔猿関の出身地である江戸川区は南北に非常に長く、最北端の京成小岩駅付近から
最南端の葛西臨海公園まで直線距離で12キロあり、荒川放水路の最下流部にそって広がる
街でその大半が海抜ゼロメートル地帯で区の大部分が荒川の東側に位置しています。
翔猿関の出身小学校は江戸川区立上一色小学校出身ですのでこの学校の学区内に住んでいた
と考えられます!
翔猿正也(力士)の出身校を詳しく!
猿飛正也(力士)は【江戸川区立上一色小学校出身】
翔猿関には同じく力士の兄、英乃海関がいますが
その兄が通っていた地元の相撲道場(小松竜道場)に小学1年生だった
翔猿関がついていったことがきっかけで相撲を始めたと言われています。
やはり兄弟である英乃海関の影響は大きかったようで、兄が小松竜道場から
葛飾白鳥相撲教室へ移籍した際には翔猿関も一緒に移籍したそうです。
このころからずっと仲良しの兄弟力士なんですね~兄弟対決が今から楽しみです。
翔猿正也(力士)は【葛飾区立大道中学校出身】
翔猿関の出身中学は葛飾区立大道中学です。
翔猿関は小学1年生で相撲をはじめましたが、そのほかにもサッカーに水泳、野球と
他のスポーツも楽しんでいて中でも野球はプロ野球選手になりたいと思っていた程
熱中していたそうです。しかし中学校にしんがくすると相撲と野球の両立が
できなくなってしまったために野球を諦めたのだとか。
野球も足腰が鍛えられるとよく言われますからこの時の経験も決して無駄ではないすよね!
中学3年生の時には全国中学校相撲選手権で団体優勝したことで団体戦の楽しさに
目覚めたそうです。
個人競技にはない魅力が団体戦にはあったようですね。
翔猿正也(力士)は【埼玉栄高校出身】
高校は埼玉県の埼玉栄高校に進学しています。
高校の同期には北勝富士がいます。
2年生の時には全国高等学校総合体育大会相撲競技大会へに団体優勝に貢献するなど
活躍をみせましたが高校時代には将来の進路として保育士を志していたのだとか。
翔猿関のインスタには子供を抱え上げる優しいお相撲さんの顔を見せた画像が
たびたびアップされていて子供好きが伺えます。
保育士になる夢以上にやはり相撲への思いが強かった翔猿関は大学時代も相撲部に
入部します。ここで相撲ではなく保育士の道を選んでいたら今の翔猿関は
みれなかったかもしれませんね。
埼玉栄高校相撲部には丈夫な体に育つようにという意図から
『一年生はラーメンを食べてはいけない』とう決まりがあり翔猿関も
それに従っていたそうです。
こんなところからも翔猿関の真面目な人柄が伺えますよね~
私なら絶対隠れてラーメンを食べます。
翔猿正也(力士)は【日本大学出身】
翔猿関の出身大学は日本大学で経済学部経済学科に進学し相撲部に入っています。
大学の同期には大奄美関がいいて着々と実績を積み上げましたが大学3年の時に
右足首を骨折して1年相撲が取れなかったことも。
大学時代に満足な実績を残せなかったことで大相撲入りを決意した翔猿関は
『兄と同じ部屋だと甘えが出る』と兄のいる木瀬部屋ではなく
追手風部屋に入門しています。
翔猿正也(力士)の生い立ちまとめ
東京江戸川区出身で三つ上の兄の後を追って相撲を始めた翔猿関。
相撲教室で指導した佐久間幸一さんは翔猿関について
『運動神経が良く、稽古も一生懸命やっていたが、目を離すとすぐに人にちょっかい
をかけていた』と語っています。
小学生時代は同学年の児童たちに比べて体が小さく、なかなか勝てなかった
そうですが、中学に進むと体の成長とともに足腰がしっかりし、3年で
全国大会で団体優勝を果たします。
埼玉栄高、日大に進んだ後、2015年の初場所での初土俵から2年半かけて関取
に昇進した際に四股名を『猿のように素早い動き』と申年にちなんで本名から翔猿に
改名しています。
まとめ
翔猿正也(力士)の出身地は江戸川区のどこ?生い立ちや出身校を詳しく!!
はいかがでしたか?
翔猿関の出身地は江戸川区の出身です。
地元小岩の相撲教室に兄が通っていてついていったことが翔猿関と相撲との出会いでした。
野球選手になりたかった小学校時代、保育士になりたかった大学時代、その度に
相撲への思いが勝って今の翔猿関がいるようですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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